曹洞宗

曹洞宗

曹洞宗について

 

曹洞宗大本山 永平寺参道

更新年月日:平成20年7月31日

曹洞宗とは

■ 曹洞宗の歴史

曹洞宗は、中国禅宗の祖師である洞山良价(洞)とその弟子である曹山本寂(曹)の二人を祖として開かれた宗派です。
曹洞宗の名の由来もこの二人の名前からきています。
しかし、この宗派はもう一人の弟子である雲居道膺の系統によって継承されていきます。
日本へは鎌倉時代に宋(中国)へ渡り曹洞宗の坐禅を学んだ道元によって伝えられました。
日本の曹洞宗は道元を初祖として、懐奘を二祖、義介を三祖、瑩山を四祖として継承されていきます。
このうち、道元と瑩山を曹洞宗の両祖として仰ぎます。
道元は越前(福井県)に永平寺を開き、瑩山は能登(石川県)に總持寺を開きますが、總持寺は明治時代に横浜の鶴見に移転されます。
曹洞宗では、永平寺と總持寺を両大本山といっています。

■ 曹洞宗の開祖

【高祖 承陽大師道元禅師 (こうそ じょうようだいしどうげんぜんじ)】
【太祖 常済大師螢山禅師 (たいそ じょうさいだいしけいざんぜんじ)】

お釈迦様の教えを中国から日本へ持ち帰ったのが道元禅師(高祖承陽大師・こうそじょうようだいし ?〜1253年)、その教えを全国に広めたのが瑩山禅師(太祖常済大師・たいそじょうさいだいし 1268年〜1325年)といわれ、この二人を両祖として仰いでいます。
道元禅師は日本に歯磨洗面、食事の際の作法や掃除の習慣を広めたといわれ、浄土真宗の開祖親鸞聖人とは、互いに母方の縁戚にあたり面識があったとする説があるが確証はない。その著作『正法眼蔵』の「生死」の巻は、親鸞聖人に向けて書かれたとする説がある。
曹洞宗の呼び名が一般的に使用されるようになったのは瑩山禅師のころからといわれ、今日の曹洞宗の隆盛は瑩山禅師とその門下によるものであるといっても過言ではなく、このため第4世でありながら開祖道元禅師と共に宗祖として尊崇されています。

■ 曹洞宗の経典

基本経典 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)
伝光録(でんこうろく)
日用経典 修証義(しゅしょうぎ)
般若心経(はんにゃしんぎょう)

■ 曹洞宗の本尊

【釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)お釈迦様です】

お釈迦様の名前は日本人なら誰もが聞いたことがあると思います。 お釈迦様は現在のネパールにいた民族である釈迦族のカピラ城の王子として生まれ 裕福な生活を送っていましたが、29歳のときに出家し35歳の時に菩提樹の下で悟り(覚り)を 開き、その後45年間自らの悟りをを人々に伝道し、80歳の2月15日に亡くなったと伝えられています。 お釈迦様が亡くなった際、頭を北にし顔を西に向けられた姿を 「頭北面西」といい 現在、ご葬儀の際に故人を北枕に安置する風習はここからきています。  お釈迦様の誕生日である4月8日はどこのお寺でもお花祭りとしてお祝いし、お釈迦様が亡くなったとされる 2月15日は報恩の法要が行われます。

■ 本尊唱名(御真言)

南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)

■ 曹洞宗の大本山寺院 

【永平寺】
福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山の寺院である。山号は吉祥山(きちじょうざん)。開山は道元、ご本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。總持寺とならんで日本曹洞宗の大本山である。

【總持寺】
神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山の寺院。山号は諸嶽山(しょがくさん)。開山は瑩山。ご本尊は釈迦如来。 永平寺とならんで日本曹洞宗の大本山である。当初は石川県輪島市(現在は總持寺祖院がある)開かれましたが明治31年火災により焼失。 明治44年に現在地に移転。